かっこいいオトナであれ!
先日、都内のあるターミナル駅で「あしなが育英会」の募金活動が行われていました。
(*写真はイメージです。引用:Twitterより)
「募金お願いしまーす」
「よろしくお願いしまーっす」
中学生でしょうか?元気にチラシ配りと声張り活動をしていました。
「お願いしまーっす」
「募金おねが…」
「チッ、邪魔だろ!」
頑張っている子供たちの前を無表情で通り過ぎていくオトナたち。
募金はおろか、チラシすら受け取らないオトナたち。
そもそも目線すら向けずにスマホとにらめっこをしているオトナたち。
あぁ。。かっこ悪いなぁ。。と心の底から思いました。
「あしなが育英会」の活動うんぬんの問題ではありません。
まずは学校が休みの日にみんなで集まって、見ず知らずの人前に出ていくという子供たちの「勇気」に対してリスペクトをしないといけません。
「お疲れさま。がんばってね」
その一言をかけてあげるだけで、報われる子どもたちがいることを気付かなければなりません。
それを邪険に扱うって…オトナとは一体何様なんでしょうか。
邪険に扱うことでまるで自分が偉くなったかのように錯覚している残念なオトナたち。。
そんなに急いでどこに向かうんですか?
そんなにスマホに夢中になって何をしているんですか?
小さなお金も寄付できないで何のために働いているんですか?
そう問いたい気持ちになりました。
オトナたちの冷たい態度は必ず子供たちに伝染し、彼らもまた周りが見えないオトナに育っていってしまいます。
「最近の子供は…」という人ほど、周りが見えない残念なオトナなんです。
ちなみに私は財布の中の小銭を全部入れてきました。
列の一番端っこの、うつむき加減の女の子の箱に。
「お疲れさま。がんばってね」
そう声をかけた時のパァっと輝いた瞳には、入れた小銭の何倍もの価値がありました。
オトナたち、損していますよ。
めんどくさい、はずかしい、もったいない…そんな小さなことをブツブツ言わないで爽やかに募金してみましょう。
魅力的なオトナの姿はいつの時代もかっこいいものです。
「ただやる症候群」に陥っていませんか?
「ただやる症候群」というのは文字通り「ただやることで満足してしまう状態」のことです。
わたしは教育関係を生業にしている仕事柄、この状態に陥っている人をよく見かけます。
「ただやる症候群」にかかっている人は、一見するととても真面目に映ります。
授業後に自主練をしたり、勉強をしたりと”熱心に”取り組んでいるように見えるからです。
先日、A さんとこんなやりとりがありました。
私:「今日も遅くまで残っていて偉いですね。」
A:「いや、それほどでも。。」
私:「今は何をしているんですか?」
A:「何をしようかなぁ、、と思って。。」
私:「今、困っていることとか、課題とかはありますか?」
A:「ん〜。とくには。。」
私:「なるほど…」
。。。
これ、何が言いたいかわかりますか?
彼はかれこれ1時間ほど自主練をしているように”見えて”いたわけです。
しかしながら、実際には何も手つかずの状態だったのです。
「ただやる症候群」が致命的なのは、なんとなく時間が経過したことで”やった気になってしまう”ことです。
やった気になる→実力が上がったと感じる(実際には上がっていない)→結果が出ない(そりゃもちろん)→落ち込む(あんなに時間を費やしたのに)→モチベーションが下がる(才能ないのかも…)→辞める(もうやめよう。。)
これが最悪の「負のスパイラル」です。
学校の勉強やスポーツだけでなく、会社においてもこのスパイラルは発生しています。
目的のない居残り残業をしていませんか?
ただなんとなく遅い時間まで机に座っていて、仕事をした気になっていませんか?
もし当てはまる部分があるのであれば、早めに改めたほうがいいと思います。
どんなに短い時間であっても必ず「目的意識」をもち「ゴール設定」をしましょう。
時間は有限、そして成果は取り組んだ分しか生まれません。
と言っても、やっぱり通じない人には通じないんです。。
結局”自分で”気づかない限りは「ただやる症候群」から抜け出すことはできないのが現実なのです。
【致知】2017年11月号「一剣を持して起つ」を読んでみての感想
今月の致知のテーマは「一剣を持して起つ」でした。
「一剣」とは得意技であり、武器であり、専門です。それを持って「世に立っていこう」というのが今月のテーマです。
今日はこのことについて考えてみようと思います。
<心に残った言葉シリーズ>
まずは毎月恒例の心に残った言葉シリーズからです。
<ファンクショナルアプローチ研究所所長:横田尚哉氏 × 人材育成コンサルタント:里岡美津奈氏>
「一剣とは何か。どこかにすごい剣があって、それを探して、手に入れて立つということではないと私は思います。剣は自分の中にあるものなんですよね。それに気づかないと磨けませんし、人にためにも役立てられない。」(同書:p30(一部抜粋))
私たちはとかく「青い鳥症候群」になりがちです。
自分がまだ持っていないもの、自分がまだ行ったことのない場所にこそ、真の価値があると信じている人は多いと思います。
しかし、真の価値は今生きているこの空間の中に必ず落ちています。
自分自身と向き合うための時間を作っていきましょう。
<エス コヤマ オーナシェフ:小山進氏>
「人は皆、自分商店の店長であり、自分というブランドのデザイナー兼オーナーなんです。その商店は当然、自分で盛り上げていかなければなりません。 (引用:P54)
「自分商店」という言葉がとても印象に残りました。
そのお店にどんな商品を置くか、どんな装飾を施すか、どんな立地にして、どんな雰囲気を纏わせるか…の責任はすべて自分自身にあります。
そして、そのお店が繁盛しているのか、閑古鳥が鳴いているのかは、今に至るまでの取り組みの結果でもあります。
一剣を持すというのは「何でも屋さん」にはならないということです。
何を持って勝負していくのか。
これを明確にすることが大切だと思います。
<古川商業高:国分秀男氏 × サンリツ卓球部監督:近藤欽司氏>
「剣そのものを磨き続けることと、その剣を持つ自分自身を磨き続けることを忘れない。時代の流れの中では、いかなる名剣といえども、放っておいてはいずれ錆びてしまう。そうならないためには、やはり死ぬまで磨き続けていかなければいけないと私は思うんですよ。(引用:p68)
「栄枯盛衰は世の習い」とはよく言ったもので、どんな人物でも、どんな商品でも、変化をしなければいずれ衰退してしまいます。
「仕事におけるスキル」はもちろんのこと、年齢を重ねるにつれ「人間としての魅力」も磨いていかなければいけません。
人間としての魅力は
- 優しさ
- 思いやり
- 感謝の心
- 与える立場
によって構成されるものだと思います。
触れるものすべてを傷つけてしまう刃ではなく、時に丸みを帯びた優しい剣を作っていきたいものですね。
<”想い”こそが最強の剣>
一剣、すなわち自分の武器とは何でしょうか。
この武器とは、単なるスキルや資格、経歴などではないと思います。
本当に大切なのは「何のために〇〇をするか」という「想い」の部分です。
「ケーキを作るのも好きだけど、それ以上に誰かに喜んでいただけるのが好きだから何を頼まれても嫌じゃなかった。(引用:p52)
これはパティシエの小山進氏の言葉です。
「ケーキを作る」というのはあくまで手段であって目的ではない、この考え方こそが一剣を持している人たちの共通点だと思います。
私たちは”手段”に捉われがちです。
さまざまな資格取得に情熱を燃やす人は、まさにこの典型例だと思います。
しかし、どんな資格やスキルよりも
- 人を喜ばせたい
- 困っている人を助けたい
- 魅力(価値)を伝えたい
そういったシンプルな「想い」こそが何にも負けない一剣になり得ます。
そしてその「想い」があれば資格やスキルは必ずついてくるものです。
<仕事なんてなんでもいい>
最近は転職市場が大きく盛り上がっているようです。
しかし、仕事内容ばかりをコロコロと変えたところで、根本的な解決には至りません。
仕事はあくまで自己実現のための”手段”にすぎないからです。
「何のために仕事をするのか」
「自分は何をしている瞬間が好きなのか」
そういった根本的な”想い”を固めて、社会に貢献していくことが真の「一剣を持して起つ」の意味だと思います。
さてさて今日も頑張っていきましょう!
1つの小さな勝ちが「勝ち続ける環境」を作る
「マタイ効果」を知っていますか?
これは
「誰でも、持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」
という新約聖書のマタイによる福音書の一部を引用した言葉です。
成功とは「累積するアドバンテージの結果」であると言われています。
マルコム・グラッドウェルの本の中にこんな話が載っています。
「カナダのプロホッケー選手の誕生日を調べてみると、面白いことがわかってきました。
それは1月、2月、3月生まれの選手がとてつもなく多いということです。」
単なる偶然?
ホッケーは冬のスポーツだから(雪の申し子)?
いやいや、違います。
これはカナダの年度初めが1月1日だからです。
私たちの子どもの頃もそうであったように、カナダにも「学年」という縛りがあります。
その学年という縛りは「1月1日生まれ〜12月31日生まれ」の子供たちを1つの集団にまとめています。
すると1月生まれと12月生まれだと、生まれた「時差」がほぼ1年あるのにも関わらず、同じ土俵の上で戦うことを強いられてしまいます。
幼少期であればあるほど発達段階には差がつきますから、当然体格や技術にも差が生まれてきます。
その中で1学年単位で選抜チームを構成しようとすると、どうしても彼らが「有利」になってしまうわけです。
初期段階ではほんの小さな差であったとしても、上手な子には選抜チームやトレーニング環境といった様々な「アドバンテージ」が与えられていきます。
上手な子はより上手になり、その環境に選ばれなかった子との差がどんどん開いていってしまうわけです。
これが「累積するアドバンテージ」であり、
「誰でも、持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」
という「マタイ効果」だと言われています。*1
これは何もスポーツだけに限った話ではありません。
大切なのは「”早い段階で”何かの一芸に秀でること」そして「その一芸を徹底的に磨くこと」です。
誰よりも優れた一芸を持っていたら、その技術が必要になった時にいの一番に相談される環境が出来上がります。
初期段階の小さな「勝ち」が、やがては「勝ち続ける」環境をもたらすわけです。
小さなジャンル・ニッチな世界を追求できる人が、次の成功者になるべき人物だと思います。
- 作者: マルコム・グラッドウェル,勝間和代
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/05/13
- メディア: ハードカバー
- 購入: 14人 クリック: 159回
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*1:日本の場合は「4月2日」が年度初めであるため、高校・大学のトップ選手はやはり4月、5月、6月生まれが多いです(今話題の清宮幸太朗選手も「5月25日」生まれ)。
もちろん、生まれの早さが全てではありませんが、体格の優位さがプレーに直結するスポーツなどにはあてはまる法則の1つです。
一万時間の法則
マルコム・グラッドウェルの本が面白いです。
こちら↓
- 作者: マルコム・グラッドウェル,勝間和代
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/05/13
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この本では「生まれつきの天才はいるのか」という命題を、時代や環境、考え方などの様々な観点から検証しています。
その中に「1つの分野で成功するためには1万時間の投資が必要」という考え方があります。
「初めてバイオリンを手にした時から、これまで何時間、練習してきましたか?」
学生はだいたい同じ時期、5歳頃から練習を始めていた。最初の2、3年はみんな同じくらいで練習は週に2、3時間。ところが8歳にくらいになると、大きな違いが見られ始める。
トップクラスの学生たちが、他の誰よりも多く練習に励むようになるのだ。
(中略)”トップクラス”の学生の総練習時間は10000時間、”優れた”学生グループの場合は8000時間、一方で”将来の音楽教師”グループでは4000時間を少し上回る程度だった。(引用:同書p46)
将来「トップクラス」「プロの演奏家」になる人間と「学校の音楽教師」になる人間とでは、子供時代の練習時間が倍ほど違うということが研究によってわかったそうです。
「ここで注目すべきなのは、エリクソン(実験主催者)が”生まれつきの天才”を見つけられなかったことだ。
仲間が黙々と練習に励む、その何分の一かの時間で楽々とトップの座を楽しむような音楽家はいなかった。
その反対に、他の誰よりも練習するが、トップランクに入る実力がないタイプである”ガリ勉屋”も見つからなかった。
調査は、一流の音楽学校に入る実力をもつ学生がトップになれるかなれないかを分けるのは「熱心に努力するか」どうかによることを示していた。
彼らを分けるのはただそれだけ。
さらに重要なことに、頂点に立つ人物は他の人より少しか、ときどき熱心に取り組んできたのではない。
圧倒的にたくさんの努力を重ねている。」(引用:同書p46)
この話をどう受け止めるでしょうか。
卓球の愛ちゃんが小さい頃、泣きながらラケットを振っていたのは有名な話です。
野球のイチロー選手も小学校時代”毎日”バッティングセンターに通っていました。
ビートルズはストリップショーで1日に8時間(しかもたった1年半で270晩!)もステージ上で演奏しっぱなしの時期がありました。
ビルゲイツやスティープジョブスも、幼少期から誰よりもPCコードにのめり込み、1万時間の何十倍も1つのことに時間を費やしています。
たしかに遺伝による生まれつきの能力の違いは存在すると思います。
しかし、それすらも凌駕する「時間の投資」ができればプロになれるという話は、私たちに自信を与えてくれます。
その1つの目安である「一万時間の法則」をより具体化すると、
- 1日1時間→27.4年
- 1日2時間→13.7年
- 1日5時間→5.4年
となります。
1日1時間なら27年。。
このことからわかることは「好き」という感情に勝るものはない、ということです。
嫌いなこと・興味のないこと・苦手なことは続きません。
結局は「好きこそ物の上手なれ」。
好きなこと・興味のあること・楽しいこと・得意なこと…そしてこの全てに当てはまるものに出会えるかどうかで人生の豊かさは変わってくると思います。
きっと仕事でも趣味でも、勉強でも、スポーツでもこの法則は当てはまります。
時間は全ての人にとって平等です。
『今この時間を何に投資するか』をよく考えて生きていきたいと思います。
- 作者: マルコム・グラッドウェル,勝間和代
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/05/13
- メディア: ハードカバー
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【致知】2017年10月号「自反尽己」を読んでみての感想
今月の致知のテーマは「自反尽己:じはんじんこ」でした。
あまり聞き馴染みのない言葉ですが、言葉の意味は漢字の通り「自らを反みて、己を尽くす」こと…要するに「自責の念を持って、自分の全力を尽くすこと」という意味です。
今日はこのことについて考えてみようと思います。
<心に残った言葉シリーズ>
まずは毎月恒例の心に残った言葉シリーズからです。
<宮本祖豊氏>
「禅の名僧、山本玄峰師があるところで講演した。それを聴いていた刑務所の所長が、この話をぜひ受刑者たちにも聴かせたいと思い、ちょっと寄って話をしてほしいと頼んだ。
にわかに集められた受刑者たちはざわめいていたが、その人たちを前に玄峰老師は開口一番「済まんかったなあ」と謝ったという。
仏法という素晴らしい教えがあるのに、坊さんが怠けて広めないでいるために、みなさんにこんな不自由をさせてしまっている、本当に申し訳ない、と詫びたのである。
会場は静まり返り、涙する姿があちこちに見られたという。」(原文一部略:p7)
私はこの文章を読んでいくときに、この老師はどんな説法(お説教)を受刑者に説くんだろう…という視点で見ていました。
まさか開口一番に「すまなかった」と謝まるとは。。全く考えもしませんでした。
見ず知らずの受刑者を前に、自分の行いを謝ることができる人は一体どれくらいいるでしょうか。
「目の前で起きていること」と「自分ができること」をつなげていくことが、今月のテーマである「自反尽己」の真意だと思います。
<雀鬼会会長:桜井章一氏 × 将棋3冠:羽生善治氏>
「つまるところは、自分にできることを常に精いっぱいやっていくしかないと思います。結果はどうなるか分からないですけど、その時、その時に自分なりのベストを尽くすこと。
それでどうにもならないこともありますが、その時はまた、その起こった出来事に対応していく。そういうことが大事ではないでしょうか。」(p74)
「尽己」で大切なのは、とにかく「今」です。
頭の中では分かっていても、私たちはどうしても未来を心配し、過去を思い煩ってしまう生き物です。
過去は過去、未来は未来、今は今に集中する!という割り切り方が何より大切だと思います。
<自反と尽己>
「自反尽己」という言葉を聞いた時、まず頭に思い浮かんだのが「PDCA」の考え方でした。
自らを反省しながら「Plan→Do→Check→Action」のサイクルを回し、改善を深めていく…それが「自反尽己」の意味かと思いました。
しかし、本を読んでいく中でいかに自分の考えが浅はかだったかに気付かされました。
この言葉の本質は、目の前で起こっていることを「しょうがないよね」で済まさないことだと思います。
- 〜はそういうものだから、しょうがないよね。
- 昔から〇〇なものだから、しょうがないよね。
- △△には抗えないから、しょうがないよね。
世の中には「しょうがない」で済まされていることがたくさんあります。
しかし現代に名を残す偉人たちは、この「しょうがない」をどう改善していくか、その改善のために自分は何ができるのかを常に考え続けてきました。
「しょうがない」「自分には関係ない」と思った時点で全ての思考が止まり、他責になってしまいます。
「自分には何ができるか」をとことん考えていくことが大切なことだと思います。
最近は政治界にも大きな問題が山積しています。
国交レベルでの重要な話がたくさんあるのにも関わらず、国内では未だに「やれ、裏金問題だ」「やれ、不倫報道だ」という心底”くだらない”情報が溢れています。
良識のある国民は、政治家に対して愛想を尽かせているのが現実です。
ただここでも外から政治家批判をしているだけでは「自反尽己」ではありません。
彼らを国民の代表として立ててしまっているのは私たちの責任です。
またマスコミの”くだらない”放送も視聴率が取れてしまうがゆえ、手を替え品を替え頻出しているわけであって、そもそもを考えれば興味を持って見てしまっている私たちの責任でもあります。
「しょうがない」「自分には関係ない」と思わず、 自責の念をもって何事にも臨むことが大切だと思います。
…とは言いながらもなかなかできないのも現実です。
日々、勉強ですね。。
【感想】「あるかしら書店」が作り出す世界観
とっても面白い本を見つけました。
ヨシタケシンスケさんの「あるかしら書店」です。
「その町のはずれの一角に、あるかしら書店があります。
このお店は「本にまつわる本」の専門店。
店のおじさんに「〇〇についての本ってあるかしら?」ってきくと、
たいてい「ありますよ!」と言って奥から出してきてくれます。
今日もあるかしら書店には、いろんな理由で本を探しにお客さんがやってきます。」(P2-3)
柔らかいタッチのイラストと、思わずクスッと笑ってしまうほどのアイディアの豊富さにどんどん引き込まれていきます。
読んでいくうえでのストレスがなく、思わず何度も同じページをめくりたくなる…
これからの時代はまさにこういう本が人気を博していくような気がしています。
スマホを使えば何でもすぐに調べることができる現代は、逆に情報の価値がどんどん下がってきています。
本屋さんに行っても、似たような内容のビジネス誌、どこかで聞いたことがある言葉ばかりが載っている自己啓発本が多く、うんざりしている人も多いのではないでしょうか。
読書に対してちょっと「疲れ気味」の人にぜひ読んでいただきたい1冊です。
「あるかしら書店」のように聞き流せる・見流せるけれども、読み終わった後になんとなく教養が残るような本がこれからの時代には求められていると思います。
…あぁ、こういう絵を描けるようになりたいなぁ←
「悟空のきもち」から学ぶ、”超・アタっている”サービスの共通点
「悟空のきもち」というヘッドスパ専門店をご存知ですか?
(引用:悟空のきもち ~本流 頭ほぐし|極上無水のヘッドスパ専門店 |京都 ...)
日本初のヘッドマッサージ・頭ほぐしの専門店として2008年にオープンし、今では全店で予約上限の3か月分が満席という”超・アタっている”お店です。
サービス業を行う関係者の皆さんは、ぜひこの経営手腕を見習うべきだと思います。
世の中で”アタる”商品に共通していることは
- 他のサービスとは何が違うのかがハッキリしていること
- 競争の原理を生かしていること
の2点だと思います。
「悟空のきもち」はまさにこの2点をどんぴしゃで捉え、”超・アタっている”お店になりました。
まずはサービス内容が素晴らしいです。
「薄い頭筋膜を捉える無水ヘッドスパ」というのは、何も目新しいサービス内容(手技内容)ではありません。
言葉を変えれば「素手で頭を柔らかく揉む」というだけです。
私たちはすでに通常のリラクゼーション店や美容室で経験したことがあります。
しかし、この気持ちよさだけを切り取って専門店にした人は過去にいませんでした(いたとしても大きく発展はしませんでした)。
また「絶頂睡眠」というキャッチコピーも抜群にイケています。
「ヘッドスパ」を打ち出すのでなく、ヘッドスパの”先”にある「良質な眠り」という部分にフォーカスしているというのはとてもセンスを感じます。
世の中にはたくさんのマッサージ店や治療院がありますが、そのどれもが
- 肩こりをほぐします
- 体のバランスを整えます
- ◯分△△円です
という似たり寄ったりのキャッチコピーでお店を運営しています。
おそらく当人たちは自信を持ってサービスを提供しているのだと思いますが、一消費者である私たちからしてみれば「あなたのお店と隣のお店の違いがわからない…」というのが現実なわけです。
この部分をひとひねりするだけでも、お店の売上は変動してくる気がします。
そして「競争の原理」をうまく活用しているのも素晴らしいと思います。
現在、全4店舗でのキャンセル待ち人数は総勢「158,188人(2017年8月現在)」とのことです。
15万人ですよ、15万人。
一人あたり客単価を仮に6,000円だとすれば…
15万人×6,000円=900,000,000円!!”9億円”です!
ビジネスをかじっている人であれば、これだけの機会損失にはいてもたってもいられないと思います。
その中でも出店を早めるわけでもなく、スタッフを大幅増員するわけでもなく、淡々と通常営業を続けているのは、このキャンセル待ち人数がさらにキャンセル待ち人数を増やすことを知っているからだと思います。
人間誰しも、これだけ人が待っているサービスを目にしたら「一度は受けてみたい」と思うのが本望でしょう。
さらに「予約は3か月先まで満員であること」をHPでも告知しているので、突然のキャンセルや失効(無断キャンセル)は限りなく少なく抑えられていると思います(せっかく予約が取れたのであれば何がなんでも行きたいですもんね)。
こうして現在のお客さんを取りこぼすことなく利益を最大化する一方で、口コミというツールで(広告宣伝費を使うことなく)未来のお客さんを増やしているのが「悟空のきもち」であるわけです。
…すごすぎますよね。。
繰り返しになりますが、世の中の”アタる”商品に共通していることは
- 他のサービスとは何が違うのかがハッキリしていること
- 競争の原理を生かしていること
の2点です。
何もゼロから新種のサービスを生み出す必要はありません。
既存のサービスの一部を”切り取り”、その専門店を立ち上げれば第2の「悟空のきもち」を生み出すこともできるはずです。
いやー、夢は広がりますね。
私は渓流の風景が大好きなので、都内に渓流カフェでも作ってみたいです。
人生ワクワクしないともったいない!!
さ、チャレンジしていきましょう。
ためらうことなかれ。
「ためらうことなかれ」
私はこの言葉が大好きです。
何か新しいことにチャレンジするとき、その一歩をためらってしまう人がいます。
- 十分な準備がまだできていないんじゃないか、、
- 私なんかがやっていいんだろうか、、
- 失敗したらどうしよう、、
そんな思いにとらわれて、結局「やらない」という選択肢を選んでしまうことほど残念なことはありません。
何事においても「やってみること」から全ては始まります。
私が思うに…一歩をためらってしまう人はちょっぴり自意識過剰だと思います。
自分にとって一生に一度の大チャレンジだとしても、目の前を歩いている赤の他人にしてみたら「そんなこと知らないよ」程度の認識です。
自分が思っているほど、自分は誰にも見られていないことに気づけば、いい意味でもっと無責任になって一歩を踏み出すことができるようになると思います。
先日、友人に「ブログを始めようと思っているんだけど。。」という相談を受けました。
ブログを始めようと思うのであれば、とにかくまずは書いてみることが一番です。
書いていく中でだんだんと「言いたいこと」や「やりたいこと」がはっきりしてきます。
言い訳ややらない理由を頭の中でぐるぐる考えているのであれば、そのぐるぐる考えていることをそのままブログに書いてしまえばいいんです。
きっと共感の集まる面白いブログになると思います。
私は今、このブログも入れて合計3つのブログを運営しています。
3つのブログを合わせると月間100,000PVほどを獲得していますが、全てのブログは1PVから始まっています。
大切なのは「ためらわないこと」、そしてそれを「継続すること」です。
ブログを書きたい
旅行に行きたい
転職したい
結婚したい
家を買いたい
…いつやるの?
今でしょ。
ためらわないで一歩を踏み出しみれば、新しい景色がきっと見えてくると思います。
人生を稲作に例えると?
人間の「人生」を1年間の「稲作作業」で例えてみると、今は何をする時期にあたるのでしょうか。
稲作は、おおよそ4月〜10月に行われます。
今日はこの約「230日間」を社会人生活およそ「50年(22歳〜72歳)」に例えて考えてみたいと思います。
<22〜26歳:土作り期>
稲作を行う上でまず取り組むべきことは「土作り」です。
土地を耕し、蒔くべきタネの準備をします。
これを人生で置き換えてみると、学生から社会人にかけての3〜4年間に当てはまります。
人生のおおよその方向性、志を決める時期です。
- 自分はどんな人間か
- 得意なことは何か
- 何で社会に貢献していくか
結果に直結せず一見考えることが面倒くさい内容ですが、この時期をないがしろにしてしまうと、後で大きなツケを払う羽目になってしまいます。
たとえ回り道に見えたとしても、自分と向き合う時間は大切にしなければなりません。
<26〜31歳:育苗期>
土壌の準備ができたら、次は植えるべき「稲の苗」を育てていきます。
人生で例えると
- 土台知識の形成
- 現場での下積み
- 長所・得意分野の自分磨き
の時期にあたります。
人生のおおよその方向性・志が決まったら、そのフィールドで活躍するための武器を身につける必要があります。
学校を卒業して以来、勉強をする習慣がなくなってしまったという人は、まさにこの育苗ができていません。
育苗ができなければ田植えもできず、田植えができなればその土地からは雑草しか生えてきません。
<31〜36歳:田植え期>
土と稲が揃ったら「田植え」をしていきます。
たっぷりの栄養と水を含んだ土壌で、サンサンと太陽を浴びながらぐんぐん成長する時期です。
これは自分が望むフィールドに立ち、生き生きと活躍する時期を表します。
- プレーヤーとして実績を残す
- 責任者として集団を牽引する
今まで淡々と行っていた「土作り」と「育苗」の苦労が少しずつ身になり始めます。
<36〜40歳:活着・中干し期>
根が根付き、さらに大きく成長する時期です。
水を抜き乾燥させることで環境としては苦しくなりますが、深く強く育っていきます。
これは社会的な地位が確立し、その現場にその人ありと認められる時期のことです。
- 部下への指導
- 矢面に立ち、責任をもつ立場
周りの環境を生かすも殺すも自分次第です。
<40〜47歳:穂ばらみ・出穂期>
茎がよりがっしりと強くなり、垂れ気味だった葉も上へ向かって直立してきます。
穂の出始め、花を咲かせる時期です。
この頃から収入面も大きく飛躍してきます。
<47〜55歳:登熟・収穫期>
収穫を迎え、大きな成果を手にする時期です。
社会的なポジション、大きな収入を手にします。
<55〜72歳:翌年への準備期(再度土作り期)>
収穫が終わったら、休田時期へ入ります。
これは翌年への準備でもあります。
- 後進の指導
- 新たなジャンルへの挑戦
今までのキャリアを活かして世の中に貢献していく時期です。
=====================================
自然を相手にする「稲作」と、社会を相手にする「人生」。
そのどちらにも共通して言えることは「焦ってはいけない」ということです。
何の準備もしていないのに、いきなり「収穫だけする」ことなんてできません(突然の大量収穫、それが宝くじですね)。
まず大切なのは「土作り」と「育苗」期間です。
この時期に遊び呆けてしまったら、その代償は大きいものとなってしまいます。
20代〜30代前半のうちにきちんと自分と向き合い、土台を固めておきましょう。
そうすれば必ず収穫時期はやってきます。
焦ることなく、今やるべきことを粛々とやり続けていくことが大切だと思います。
【感想】「億男」3億円の先にあるもの
川村元気さんの「億男」という本が好きです。
この本は主人公の「一男」が宝くじで「3億円」を当てるところから物語が始まります。
「お金と幸せの答え」とは何か?
それを大学時代のかつての親友「九十九(:つくも)」に相談しに行ったところ…
九十九は3億円を持って姿を消してしまいました。
「失われたお金」と「お金と幸せの答え」を探すべく、一男は必死になって九十九の周りの「億男」たちを訪ね歩いていきます。。
ストーリー全体が落語の「芝浜」になぞらえて作られており、何度も読み返してしまう名作です。
この本の中にこんな言葉があります。
「僕らは何が欲しいか分からずに欲しがったり、失ったりしている。皆が必死になって書き出している夢。世界一周。大きな家。幸せな家族。でも行きたい場所なんてどこにもないのだ。ここではないどこか、を求めているだけ。お金がそれら茫洋とした夢や欲望に、姿かたちを与えてくれると期待しているだけなのだ。」(p166)
まさにその通りだと思います。
「もし今、3億円が当たったら何がしたいですか?何が欲しいですか?」
この質問に対して"具体的に即答"できる人はごくわずかだと思います。
私たちは常に「今は持っていない何か」「ここではないどこか」を求めています。
だから「お金さえあれば」という思いのもとにお金にすがってしまいます。
幸せってなんだろう…
とても難しい問題ですよね。
この本の中にはその答えとなるこんな言葉もあります。
「僕たちを幸せたらしめているものは何か。
僕たちの生を繫ぎ止め、明日へと生かすものとは何か。
それは柔らかいバスタオル、風に揺れるカーテン、ベランダではためく洗濯物、並んだ歯ブラシ。焼きたてのパン、甘いリンゴ、入れたての珈琲。一輪のチューリップ、笑顔の家族写真、心地のよい音楽。
そのどれもが、お金で買えるものかもしれない。けれども、それとともにある幸せは、誰かと一緒でなければ手に入れることはできない。ひとりでは難しい。誰かと共有していなければ。その幸せな、ひとときを。」(P220)
結局、幸せとは「何を手に入れるのか」「どこに向かって歩くのか」ではなく、「誰と一緒にその時間を共有するのか」が全てです。
私たちが人である以上、幸せを運んできてくれるものは「人」でしかないわけですね。
お金のために人を蹴落とす人生、人を騙してお金をむしり取る人生、家族を犠牲にしてまで仕事にのめり込む人生、、
その人生の先に幸せはありません。
豊かな日本にいるからこそ、幸せの定義を再確認してみることも大切だと思います。
「億男」ぜひ読んでみてください。
自分が動く
「自分”が”動く」
これってとても大切なことだと思います。
自分の力だけでは変えられない状況のとき、皆さんはどうしていますか?
たとえば電車の中で子供達が騒いでいた時、私たちには3つの選択肢が与えられています。
- 我慢する。
- 「静かにしなさい」と注意する。
- その場を離れる。
私はたいてい③「その場を離れる」という選択肢を選ぶようにしています。
①「我慢する」というのは、自分がストレスを抱えることです。
イライラする感情には、何一つメリットはありません。
②「注意する」というのは、他者をコントロールすることです。
教育、といえば響きはいいですが、もし自分が期待している通りの結果にならなかったら、これもまたイライラ感情を引き起こしてしまいます。
③「その場を離れる」というのは、自分をコントロールすることです。
子供は元気があって当然、その元気を今の自分は受け入れられない…と思ったら、さっと自分が動いてしまうのが得策です。
これは仕事においてもあてはまることだと思います。
仕事内容と給与が不適切だと思っているとき、選択肢は3つしかありません。
- 「しかたがない」と我慢する。
- 「給与が少ない」と声高に叫ぶ。
- 転職する(立ち位置を変える)。
今いる環境に納得できていないのであれば、我慢したり、文句を言ったりしている時間はもったいないです。
自分”が”動くことで、新しい未来は拓けてきます。
たった一度の100年足らずの人生です。
他人と過去は変えられませんが、自分と未来は変えられます。
ぜひ自分から動いていきましょう。
頑張れない日は、頑張らない日
どんなに好きな仕事であっても、やっぱり”頑張れない日”はやってきます。
皆さんはどのくらいの周期でこの”頑張れない日”がやってきますか?
私はだいたい「4ヶ月に1度」くらいのペースでやってきます。
…ん?これってどうなんでしょう?
多いのか少ないのか、よくわかりません。。
”頑張れない日”を迎えるときの共通点は「行き詰まり感」にあります。
「月に100万円を稼いでみたい」
そう思っている一方で、今の生活の延長線上にはそのゴールが見えてこないとき、モチベーションは必然的に下がってしまいます。
これはお金、暮らし、家族、恋愛…などなど、すべてに当てはまると思います。
「〜したい」そう思う一方で「現状のままだったらきっと〜できない」とどこかで気づいてしまうと、私は”頑張れない私”になってしまいます。
「夢をもて」「諦めるな」「努力すれば必ず叶う」
そんな言葉もありますね。
もちろん、そういう言葉の真意は十分にわかります。
でも。
どんな言葉があっても、やっぱり”頑張れない日”はやってきます。
頑張れない日は、頑張らない日だと割り切ることも大切です。
私はいつもたっぷり睡眠時間をとって「そもそも話」に戻るようにしています。
「何のために働くのか」
「なぜこの仕事なのか」
を少しばかり時間をかけて考えていきます。
そうすると
「あ〜、そうだったそうだった。また頑張らないとな」
という思いが湧き上がってきます。
これが発展してくると、カフェやビジネスホテル、温泉に一人でこもり【自分見つめ直しタイム】を取るようにもなってきます(^^;;
ただただ「生きる」だけに執着できない人間は大変ですよね。。
ネコの生き方が羨ましいとも思う今日この頃です。
「人生はお金じゃない」なんて言わないで。
「人生はお金じゃないんだ」「夢と感謝に生きよう」
そんなことを言う大人がちょっとキライだった時期がありました。
『人生はお金じゃない』
言いたいことはなんとなくわかります。
でもこのセリフを口にする人は
- お金に恵まれない人生で、お金から逃げている人
- 十分なお金を持ち、お金から解放された人
のどちらかです。
①の「お金から逃げている人」の言葉には耳を貸す必要はありません。
なぜならそこには「負け惜しみ」が含まれているからです。
「持っていない人が、持ったこともないものを、持っていない方がいい」
と言うこと自体、おかしなことです。
聞く耳を持つ必要はないと思います。
厄介なのは②の「お金から解放された人」が言う「人生はお金じゃない」の言葉です。
成功者のその言葉を聞くと
「なるほどな、人生はお金を追い求めちゃいけないのか…」
としみじみ感じてしまいます。
すると、せっかくお金を手にするチャンスが回ってきたとしても
「いやいや、人生はお金じゃないから。私は別にいらないよ」
とあえて避けてしまうことがあります。
お金を稼ぐ、つまり収入とは何かを突き詰めて考えれば、それは「影響力」です。
- どれだけの人を楽しませたか
- どれだけの人を幸せにしたか
- どれだけの人を笑顔に導いたか
が収入の大きさにつながります。
要するに「影響を及ぼした人の”数”の多さ」です。
10人を幸せにするサービスを行っている人と、10,000,000人を幸せにするサービスを行っている人がいたとしたら、後者のほうが収入は大きくなります。
だから「お金を稼ぎたい」と思うのであれば、
『より多くの人を幸せにできるサービスとは何か』を考えていく必要があります。
「人生はお金じゃない」「お金なんてもたなくていい」という言葉は、自分の存在を否定することにもつながってしまいます。
だからこそ、堂々と言えばいいと思います。
「わたしはたくさんの人を幸せにしたい。それによってお金持ちになりたい」と。
人生にとってお金は大切です。
大切なことを大切だと認識することがすべてのスタートだと思います。
「ボーナス」から見えること
先日、電車に乗っていたときの話です。
途中から乗ってきた若いカップルがこんな話をしていました。
「ねぇ、聞いてよ。わたし、入社2年目なのにボーナス35万しかでないのよ。」
「えぇ〜ほんとかよ。おれは2ヶ月分は出たぞ。」
「あぁぁ、仕事変えようかなぁ…」
基準って大切です。
人はどうしても自分と誰かを比較してしまいます。
その比較対象をどこにおくか、で人生の見え方は大きく変わってきます。
新卒2年目の春のボーナス。
いったいどのくらいの企業がこんな”ひよっこ”達に35万円も出しているでしょうか。
誤解を恐れず言わせてもらえば、新卒2年目なんてまだまだ会社に対して何の大きな利益も生み出せていません。
このお金はどこから生み出されて、自分に回ってきているのか。
そこを考えられる頭がないと、きっとこの先行き詰まってしまいます。
35万円をもらって「少ない!もう辞めてやる」と思うか、
35万円をもらって「ありがたいな。期待に応えられるように頑張らなきゃ」と思うか、
はその人次第です。
基準をどこに設けるか、で人生の見え方は大きく変わると思います。