ターキーの尾
とある村の、クリスマスのお話です。
娘:「ねぇ、お母さん。どうして私の家ではオーブンでターキーを焼く時に尾っぽを切るの?」
母:「それはね、そういうものなのよ。」
娘:「へぇ、そうなんだ。不思議ね。」
この家ではクリスマスにターキー(七面鳥)を焼く際に、必ず「尾っぽ」を切ってからオーブンに入れる習慣がありました。
「尾っぽだって美味しいのになぁ。もったいない。」
そう思う娘は、次におばあさんに対して同じ質問をしてみました。
娘:「ねぇ、おばあちゃん。どうして私の家ではオーブンでターキーを焼く時に尾っぽを切るの?」
祖母:「あら、あなたのお母さんは尾っぽを切ってから焼いているの?」
娘:「そうなの。とっても不思議なの。」
祖母:「それはね、あなたのお母さんがまだ小さかった時、わたしの家のオーブンが小さかったからなのよ」
…そうなんです。
昔の家はオーブンが小さく、ターキーが丸々1つは入りきらなかったんです。
だからおばあさんは、尾っぽを切ってから焼いていたのです。
その光景をずっと横で見ていたお母さんは
「ターキーは尾っぽを切って焼くものなのね」という構成概念だけを認識してしまったのです。
…何が言いたいか、わかりますか?
要するに「行動の本質を探れ」ということです。
大きなオーブンを持っている今のお母さんは、ターキーの尾っぽを切る必要なんてありません。
「なぜ、尾っぽを切るんだろう」
行動の本質さえ知っていれば、取るべき行動は変わっていたはずです。
- 昔からそうだから。
- そういうものなのよ。
そういった言葉は思考が停止している証拠です。
なぜ?の疑問を持ちましょう。
行動の本質を知れば、きっともっといいやり方が見えてくるはずです。