頑張らないことを決めること
頑張らないことを決めること。
これは現代人にとって、とても大切なことだと思います。
なぜなら、
自分が頑張らないことを決めると、人が頑張らないことを「許せる」ようになるからです。
現代に生きる多くの人は、とにかく自分を「〜ねばならない」の概念に縛りつけています。
- 毎日、通勤電車に乗らねばならない。
- 嫌な仕事も引き受けねばならない。
- 一生、一人の異性を愛し続けねばならない。
などなど。
だからこそ縛られていない人を見つけると、凶暴な感情を止めることができません。
芸能人の不倫報道、ユーチューバー叩きなどがいい例です。
自分には全く関係がないことなのに「おれだって我慢してがんばっているんだから、お前も我慢しろよ」というマインドのもと、「許す」ことができません。
しかし、叩く人ほど心の奥底には共感の思いが眠っています。
「若くて美人な子とお泊まりデートなんていいなぁ」
「人間関係にも振り回されずに、毎月50万?いいなぁ」
本当は羨ましく仕方なくて、できれば自分もそっちの世界に行ってみたい気持ちもあるのに、
「いや、自分はこの環境で頑張らねばならない」と自分で自分を押さえつけ、外野から野次を飛ばしているのです。
人のやることなすことが気になって仕方ないのは、自分が頑張りすぎている証拠です。
肩の力を抜いて、たまにはこっそりデートでもしてみたらいかがでしょう?
「許す気持ち」が人生をより豊かにすると思います。
- 作者: 横山泰行
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【致知】2017年8月号「維新する」を読んでみての感想
*以前は「http://tomy-blog13.com」に載せていましたが、今月の感想からこちらのブログで扱っていきたいと思います。
致知の8月号のテーマは「維新する」でした。
維新とは「だんだんに日々変化していくこと」です。
これは個人や組織を維持・繁栄していくうえで欠かすことのできない要素です。
今日はこのテーマについて考えてみたいと思います。
<心に残った言葉シリーズ>
まずは毎月恒例の心に残ったシリーズからです。
<日本証券業協会会長:鈴木茂晴氏 × 東急電鉄社長:野本弘文氏>
・「みんなが驚くようなアイディアは10年とか20年に1回しか出ない。だけどちょっとここを変えましたというのはいつでもできますよね。」
・「どんな小さなことでもいいから絶えず改革していく、変化させていく。それが積み重なったらものすごく大きな力になるし、そういう組織は発展していくんです。」
・「ところが、守りに入って現状維持で同じことを繰り返している組織はどんどん衰退してしまう…。」(引用:同書P21)
言葉の定義でいうと、
根本から全てを変えることを「革命」といい、日々少しずつ変化・成長を行うことを「維新」というのだそうです。
革命はそう頻繁に起こるものではありませんが、維新は毎日起こすことができます。
ここで大切なのは「維新しようとする気持ち」です。
「ちょっとここを変えました」を日々実践するためには、常に「今やっていることはベストなのだろうか」という問題意識をもっておかなければなりません。
その意識を高めていくことが個人や組織の繁栄には欠かせない要素だと思います。
<榮太棲総本舗社長:細田眞氏>
・「食とは本来保守的なものであり、時代が変わっても本質的な人々の好みはそう変わるものではありません。しかし、その表現方法を常に変革していかないことには、時代の波に乗ることができません。」
・「ここで大事になってくるのは、変えていくべきものと変えてはいけないもの、またその変革の時をきちんと見極めることですね。」(引用:同書p47)
人々のニーズは常に変化をしています。
どんなに品質の優れている商品であっても、打ち出し方や見せ方を工夫していかないと徐々に”飽きられて”しまいます。
変えていくべきものは「発信方法」、変えてはいけないものは「マインド」です。
変化に柔軟に対応する一方で、これだけは譲れないという軸の部分を見失ってはいけません。
そのバランスを保ちながら、日々「維新」していくことが大切だと思います。
<継続の中に維新あり>
冒頭にもありましたが、”維新”とはだんだんに日々変化していくことを表す言葉です。
つまり、維新の前提にあるのは「継続」であり、継続のないところに維新は存在しません。
そもそも世の中には継続できる人(組織)と、継続できない人(組織)がいます。
根本的な違いはそこに「原点」と「工夫」があるかどうかです。
継続できる人(組織)は「何のためにやっているか」という原点が明確です。
また、端から見ると毎日同じことを繰り返しているようにも見えますが、やっている本人の中では日々工夫があり、ちょっとした変化が起こっています。
- 娘のためのお弁当作り
- スポーツの練習
- 受験に向けた勉強
- 会社の経営
どれも大切なのは「原点」と「工夫」です。
そしてその継続こそが、まさに「維新」であると私は思います。
<まとめ>
「毎日ちょっとだけ変化を起こす」というのは、本来とても楽しいものです。
変化を起こすためには「どうしたらもっと良くなるだろう」という問題意識が大切です。
そして、その問題意識を持つためには「何のためにやっているのか」という原点が必要不可欠です。
まずは原点を明確にするところから始めていきましょう。
優しくあることを選ぶ
この動画、ご覧になったことはありますか?
これはamazonを創ったジェフベゾス氏がとある大学の卒業式で語った講演の内容です。
テーマは「才能と選択」についてです。
とても考えさせる内容ですが、特に印象に残ったのは次のフレーズです。
『Jeff,one day,you'll understand that it's harder to be kind than clever.』
(ジェフ、いつかお前もわかるだろう。優しくあることが頭が良いことよりも難しいということが。)
この言葉は少年時代のジェフベゾス氏に対して、祖父がかけた一言です。
優しさとは「選択」であり、頭の良さとは「才能」です。
優しさは、全ての人が「選ぶことのできるもの」ですが、選べるがゆえに選べない(選ばない)という選択をしてしまいがちです。
「優しくあることを”選ぶ”」
いくつになっても忘れずにいたい教訓の1つだと思います。
*15分弱の動画ですので、興味のある方はぜひご覧ください。
嫌いな人
「嫌いな人ほど、最高の教師なんだ」
人間関係に悩んでいた頃、とある先輩にかけてもらった言葉です。
当時はよくわかりませんでしたが、今では何を言わんとしているか十分に理解することができます。
皆さんは嫌いな人がいますか?
幸か不幸か、今のわたしの生活には嫌いな人がほとんどいないです。
しかし、嫌いな人がいるというのは、ある意味でとてもありがたいことだと思っています。
そもそも「嫌いな人」というのは「価値観が合わない人」のことです。
生き方、考え方、見た目、話し方…など、嫌いになるポイントは多々ありますが、その共通点にあるのは「なぜそうするのか理解できない」「認めたくない」という部分です。
だから自我の強い人ほど、嫌いな人に囲まれています。
当時の私もまさにそのパターンでした。
こだわりの強さゆえに、周りの人にも「〜すべき」という価値観を押し付けていたんです。
自分が一番、嫌な奴ですね。。
「価値観が合わない」というのは、逆に考えれば「自分の知らないことをたくさん知っている」ということです。
「へぇ、そういう考え方もあるんですね」という受け入れができれば、「嫌い」という感情は湧いてきません。
つまり受け入れられる度量が広がれば広がるほど、嫌いな人はいなくなるわけです。
世界は広く、人生は短いです。
自分の価値観を広げていくことが大切だと思います。
そう単純ではない「原因と結果」の法則
- 「いい高校に行けば、いい大学に入れる」
- 「いい大学に行けば、いい会社に入れる」
- 「いい会社に行けば、豊かな生活が送れる」
一昔前のこの価値観を未だに信じ、子供に押し付けてしまう人がいます。
世の中の事柄には、たいてい原因と結果の「因果関係」があるように見えています。
しかし現実は「因果関係」ではなく「相関関係」であることが多いです。
たとえば「いい大学に行けば、いい会社に入れる」という関係性を見てみましょう。
これは「いい大学に通っている→いい会社に入れる」という因果関係ではなく、
「いい会社に入れるだけのポテンシャルを秘めている=いい大学に通っている」という相関関係のほうが成り立つ場合が多いです。
今は、組織ブランドだけで勝負できるほど単純な世の中ではありません。
個として何ができるのか、何をしてきたのか、が求められる時代です。
いい意味で、全ての結果は自分次第。
こんな素敵な時代に生まれて、幸せです。
クオリティーだけじゃダメ。
「クオリティーの高さ」と「成功」は比例しない。
そう、思っています。
わたしがよく行くジムには、それはそれは熱心な男性のトレーナーさんがいます。
休みの日でもいろいろな勉強会やセミナーに参加されているそうです。
- アスリートのためのピリオダイゼーション。
- 最新のファンクショナルトレーニング。
- オススメのサプリメント情報。
話をしていると、面白い情報がザクザク出てきます。
個人的には大好きです。
でも。。
この男性トレーナーの開催している講座が大人気かというと、実はそうでもありません。
一番人気の講座は、飛び抜けて明るい女性インストラクターのスタジオレッスンです。
彼女の講座はいつも満員御礼。
年配の女性から、大学生の男の子まで様々な人が利用しています。
この差って何なんでしょう。
ここにクオリティーと成功の関係性があると思います。
もし「知識・経験」だけで見てみたら、男性トレーナーが圧勝です。
しかし「親しみやすさ・分かりやすさ」を加味したら、女性インストラクターと五分五分になります。
ここにさらに「また会いたい気持ち」を上乗せしたら、女性インストラクターが圧勝してしまいます。
人が求めるものは「知識や経験」といったクオリティーだけではありません。
一般のジムでは「ピリオダイゼーション」や「ファンクショナルトレーニング」や「サプリメント」といった情報を求めている人なんて、ほとんどいないんです。
だから一般のユーザーからしてみたら
- 「あの男性トレーナーはすごいんだろうけど、何を言っているかよくわからない」
- 「でも、あの女性インストラクターはとっても親しみやすい。いつも笑顔で運動嫌いの私たちを励ましてくれる」
という構図になるわけです。
この構図は世の中すべてに共通していると思います。
クオリティーを高めるべく、上に上にガンガン伸びていった結果、気がついたら周りにはだれもいなくて、孤立してしまっている…ことがあります。
これをなくすためには「知ってもらう仕組み」「売れる仕組み」を考えることが大切です。
「顧客が誰か」をきちんと押さえ、「どんなニーズがあるか」をしっかり考えていきましょう。
独りよがりでは生き残っていけません。
専門分野に生きる人ほど、覚えておかなければならないことだと思います。
広告の意味
社会、そして経済の本質とは何でしょうか。
それは「お金を使うこと」です。
だからこそ、世の中には「お金を使わせる仕組み」がたくさん存在しています。
その仕組みの1つが「広告」です。
人がモノを買うためには、まずそのモノを「知る」必要があります。
たくさんの人がその商品を知れば知るほど、買ってもらえる確率も高くなっていきます。
だからこそ、たくさんの人に知ってもらえる広告手段(媒体)には、大きな価値があります。
・テレビのコマーシャル
・電車の中吊り
・新聞や有名雑誌の一面
・スマホの各画面
しかし。。
ここには大きなジレンマがあります。
1つ質問させてください。
皆さんは広告が好きですか?
「はい!好きです!コマーシャルのためにテレビを見てます!」
…こんな人はいませんよね。
情報社会を生きる私たちは、正直もう広告に飽き飽きしています。
伝える側は「伝えたい!」と思っている一方で、
伝えられる側は「できれば見たくない…」と思っているわけです。
これをどう打ち破っていくか、がこれから先の大きな課題です。
この課題は、どうすればいいのでしょうか。
情報が少ない時代は「露出頻度」こそが重要でした。
つまり『見たことある!→これ、欲しい!』の構図が定番だったわけです。
それ故にテレビCMや折込チラシなどが大きな力を発揮していました。
しかし、今は情報が多い時代です。
鍵を握るのは、情報を「どこで聞くか」または「誰から聞くか」です。
信頼できる人の言葉は、どんなテレビコマーシャルよりも絶大な効果を発揮するのです。
ここに目をつけた企業は、信用の高い個人に企業の広告を依頼するようになり始めました。
それが「アフィリエイト」という仕組みです。
時代は進み、今はより個人にひもづく社会になってきています。
業界内であぐらをかく大企業ほど、足元をすくわれる時代です。
変化を柔軟に捉え「先」を見据えることが大切だと思います。
学校教育を終えてわかること
日本には6年間の義務教育、3年間の高校教育、4年間の大学教育があります。
高校への進学率は97%を超え、多くの人が20歳前後まで学校教育のもとで生活を送っています。
みなさんはどんな学校生活を過ごしましたか?
学校教育を終え、社会に出て数年がたつと、たいていの人はあることに気付き始めます。
それは
「人生において学校教育の成績や、大学の卒業証書は大した意味を持っていない」
ということです。
〇〇大学を出た、学校の成績は〇〇だった、と話ができるのは、せいぜい20代中盤までです。
そんなことよりもっと大切なのは、
- ガッツ、やる気、モチベーション
- 継続できる忍耐力
- 感謝の気持ち
- やりたいことへの明確な意志
などといった”極めて抽象的な”事柄です。
社会は人と人とのつながりで構成されていますから、
「こいつ、元気があっていいな」「かわいいやつだ」
と周りに認められる人柄の良さこそが大きな武器になります。
学校のテストでは周りの人と相談するのはNGですが、社会に出たら相談し放題です。
だから、相談できる人がどれだけ周りにいるか、で人生は大きく変わります。
どれだけかっこつけても、一人で生きていくなんて不可能なことです。
働くというのは「人の役に立つことによって対価を得る」ことであり、これは会社員であっても、フリーランスであっても、全く同じです。
プライドで固めた気難しい人生よりも、笑顔にあふれる毎日を送った方がきっと幸せなんじゃないかなと思います。
仕事は作業
世の中にはたくさんの仕事があります。
皆さんは今の仕事をどんな基準で選びましたか?
私はやっぱり仕事内容に「楽しさ」を感じるかどうかが大切だと思っています。
仕事って、つきつめて考えれば全部「作業」です。
「作業」というと単純なルーティンワークと認識されがちですが、新しいものを生み出すクリエイターさんも、ノマドワークができるITワーカーさんも結局は「何かをし続ける」という作業の日々を送っています。
その作業の楽しさこそが全てです。
楽しくなかったら、仕事なんて続けていられません。
当たり前のことですが、意外と当たり前じゃないのが現実です。
会社の知名度やブランド、福利厚生の充実で仕事場を選んでしまうと「つまらない作業」の連続になってしまいます。
休日を楽しみに平日を耐える…なんて本当の人生じゃありません。
お給料は、その作業の影響力の大きさに比例してきます。
どんな作業内容であっても、10人を喜ばせる作業と1,000,000人を喜ばせる作業だったら、後者の方がお給料が高くなるのは必然です。
こだわるべきは”作業内容そのもの”であって、”作業をする場所”ではありません。
一度きりの人生。
毎日楽しく生きたもの勝ちです。
手離す勇気
1つのことをやり続けていくと、多かれ少なかれ「気分の波」がやってきます。
その波が来た時にどう対応するか。
これが継続のキモだと思います。
大切なのは、自分を信じて一度手離してみることです。
「やらなきゃ」「やりつづけなきゃ」と肩肘はって頑張り続けると、
「あー、もうやりたくない!」になってしまいます。
そうなったら大変…。
再びやる気がたぎるまで、長い時間がかかります。
なんだか最近うまくいかないなと思ったら、しがみつかずにパッと手を離してみましょう。
本当に自分のやりたいことであれば、頭の片隅にいつまでもひっかかり続け、ある瞬間に「またやりたい!」になってきます。
- 思い切って「手離す」勇気。
- やりたい自分が湧き出てくるまで「待つ」勇気。
この2つの「勇気」はとても大切だと思います。
もし「またやりたい!」にならないのであれば、それは自分のライフワークではなかったということです。
さっさと次へ行きましょう。
仕事にせよ、スポーツにせよ、日本人は「耐える=美徳」という考え方が強すぎます。
人生は有限です。
しがみつかないこともまた、1つの美徳だと思います。
旅人の話
昔々あるところに小さな村がありました。
その村の入り口の小さな切り株に、一人の老人が腰かけておりました。
ある時。
一人の旅人がその村を訪れました。
旅人は聞きます。
「おじいさん、この村はどんな村?」
おじいさんは聞き返します。
「あなたが今までいた村はどんな村だった?」
旅人はこう答えました。
「いやぁ、前にいた村は嫌な人ばかりでろくな村じゃなかったよ。」
「そうかい。きっとこの村もあなたが前にいた村と同じだよ。」
また別の日に旅人がやってきました。
「おじいさん、この村は一体どんな村ですか?」
おじいさんは聞き返します。
「あなたがこの前にいた村はどんな村だった?」
「わたしが今までいた村はとてもすばらしく、人々は親切で、あんなによい村はありませんでした。」
「そうかい。きっとこの村もあなたが前にいた村と同じだよ。」
同じ環境であっても、視点が変われば見え方が異なります。
つまり、環境というのは「その人の心が決める」のです。
今ある環境を生かすも殺すも自分次第。
さてあなたにはどんな村が見えていますか?
価値のあるもの
世の中で「価値」があるもの。
それは需要が多く、供給が少ないもの、です。
要するに「多くの人が”欲しい”と思っているもの」です。
どんなに高品質でクオリティーに秀でていても、
誰も見向きもしない、
誰も欲しいと思っていない、
そもそも誰もその存在を知らない…。
そんなものだったら、そこに価値は生まれません。
言われてみれば当たり前のことですね。
ではどんなものに価値が生まれるのでしょうか。
キーワードはたったの2つ。
- 役に立つか
- 面白いか
です。
「お金」は交換の原資です。
とても役に立ちます。
「YouTube」は世界中のあらゆるコンテンツをすぐに見れます。
とても面白いです。
価値のあるものを作りたいのであれば、
「役立つもの×面白いもの」を突き詰めて考える必要があります。
独りよがりでは、価値を生み出すことは難しいのです。
お金の本質
人生においてお金は必要か。
それはもちろん必要です。
「お金がすべて」ではありませんが、現代ではお金がなければ生きていけません。
じゃあなぜお金は必要なのでしょうか。
それはお金が「交換の原資」になっているからです。
何かサービスを受けたいと思ったとき、または何か新しいモノが欲しいと思った時。
私たちはお金と引き換えに、それらを手に入れます。
世の中の基本原則は「物々交換」です。
この原則に乗っ取らない行為…それを強盗や詐欺といいます。
したがって、突き詰めて考えてみれば「物々交換」が成立しさえすれば、そこにお金はいりません。
「サンマあげるから、大根くれませんか?」
それでいいわけです。
じゃあなぜ、お金は交換の原資になるのでしょうか。
それは「全ての人が信用しているもの」だからです。
お金そのものには、何の価値もありません。
お金に紐付いている「信用」こそが大きな価値なのです。
…ん。どういうこと?
そんな声も聞こえてきそうです。
世の中にはお金を大切だと思っている人がたくさんいます。
しかし、数年前のEUでの出来事を思い出してください。
貨幣価値が下がり、お金は紙切れ同然になりました。
この時はどんなにお金を持っていても、りんご1つ買えませんでした。
要するにお金に対する「信用」がなくなったのです。
私たちが生きていくために本当に必要なもの、それは「信用」です。
もし仮にお金をすべて失ったとしても、その人に対する「信用」があれば十分に生きていけます。
「あなたになら、この家貸すよ」
「どう、ちゃんとご飯食べれてる?サンマたくさん獲れたから、少しあげるよ」
つまり「何か困った事があったら、力になるよ」という言葉は、その人の財産の大きさではなく、信用の大きさから生まれてくるのです。
そう考えれば「生き方」もとても大事です。
自分だけが成功しよう、人から奪ってでもお金持ちになろう、という思考は、信用を築き上げないからダメなのです。
どう頑張ったって、人間は一人では生きていけません。
- 「周りの人から応援される」
- 「周りの人に信じてもらえる」
そんな生きかたを貫くことが真のお金持ちへの最短ルートだと思います。
偏差値と就活
「わたしの大学の偏差値は〇〇だから、△くらいの企業が妥当かな」
日本に根強く残る偏差値教育。。
幸か不幸か、その影響を大きく受けている人はたくさんいます。
企業を1つの指標で見ることはできませんが、仮に
- 大手企業=偏差値が高い
- 中小企業=偏差値が低い
とシンプルに考えたとしましょう。
小中高大学の偏差値と、企業の偏差値の大きな違いは「数年後に変動が起こるか否か」です。
東大や京大、早慶といった大学は、いずれも日本トップクラスの偏差値であり、10年後でもこの偏差値ブランドが揺らぐことはありません。
しかし、今「大手」と呼ばれている企業はどうでしょうか。
10年後にも同じ偏差値ブランドをキープし続けている保証はどこにもありません。
これは逆もしかりです。
地方大学が数年後に東大ブランドに勝つことは、まず不可能です。
しかし、ベンチャーやスタートアップ企業が数年後に世界的企業になっている可能性は十分にあります。
これだから働くって面白いです。
時代の波を読むことができれば、大きな成果を手に入れることができます。
「今」の偏差値ブランドだけで企業を選んでしまうのは、全くもってナンセンスです。
就活とは、大海原を行く「船選び」です。
大きく立派な船に見えても、船底から浸水が始まっているかもしれません。
大切なのは
- 「どこに向かっていくのか」
- 「何をしていくのか」
という視点です。
1つの企業で一生働き続ける時代は終わりました。
企業のブランドといった目先の利益にとらわれず、何を学べるのかという長期的な目線をもって悔いのない就活をしてほしいなと思っています。
オトナの教育
「年老いた犬に新しい芸は仕込めない」
そんな言葉があります。
年をとったり、経験を重ねるほど、新しいものに対する反応が悪くなるのは世界共通です。
まれに特別な人はいますが、基本的にはフットワークはどんどん重くなっていきます。
オトナに何かを教えるというのは、とても難しいものです。
オトナ教育のキーワードは「待つ」こと。
待って待って待ちまくる。。そのくらいの気概が必要です。
水をたっぷり含んだスポンジに新しい水を吸収させることはできません。
それと同じく、
- 学ぼうと思っていない人(意欲のない人)
- 学ぶ内容に必要性を感じていない人
には何も教えられません。
だからこそ、教える側には「環境づくり」と「未来イメージ」の2つの努力が必要です。
- 「学びたい気持ちがあるんなら、こんな学ぶ環境がありますよ」
- 「この内容を学べば、こんな風になれますよ」
この2つを丁寧に説明することが大切です。
好奇心が満載で、どんなときでも腰が低い人は、いくつになっても魅力的です。
そういうオトナに私はなりたいと思います。